もの屋敷の現状
団塊の世代を親に持つ方は簡単に想像していただけると思いますが、
この世代の人たちは物を捨てるのが苦手です。
戦後、何もないところから高度経済成長をとげた時代を生きた人たちで、働けばどんどん給料があがる、終身雇用、株も物価も給料も上がり続け、現役時代にバブルを経験した世代。
うちもとにかく物が捨てられない。
綺麗な包装紙
高級店の紙袋
温泉旅館でもらうタオルと歯ブラシセット
街頭配布のポケットティッシュ
引き出物いろいろ(新郎新婦の名前入り写真たて等)
使いきれないほどの文房具
スーパーのレジ袋
タダでもらったものをもったいなくて捨てられないという、貧乏性の典型的な反応です。それが人生70年以上も続けば、タダのものたちに多くの場所を占領され、自分たちはまっすぐ歩けないくらい物に埋もれて生活している。
「まだ使える」
「いつか使うかも」
「もったいない」
が口癖です。
うちは、生ごみなどを放置することはなく、有機ごみはないんですが
とにかく物が多すぎて掃除機をかけるのも一苦労でした。
問題点
うちの問題の中で特に大きいのは3つです。両親の健康と安全、家屋倒壊の危険、物がおおすぎる
両親の健康と安全
まず、物が多いのでつまづいて怪我をしないかいつも心配です。
今は元気ですがいずれ足腰は少しずつ弱ってくるはず。そんな時、あの家には転んだ時の危険がいっぱい。
せっかく元気なんだから、そのまま細く長く安心して老後を送ってほしい、そう思ってます。
そしてヒートショックも心配。
お風呂場と脱衣所、部屋の温度差で血管が急激に収縮するヒートショックは、北国でおこりがちかと思いきや、関西がダントツ死亡者数が多いんです。
温暖な地域なので、あんまり寒さ対策できてないんですね。
うちは父が血圧高めなので特に心配です。
木造家屋は密閉性が低く、古い家なので屋外にいるような寒さ。暖房器具も使っていますが限界があります。
それに、お風呂場も狭く、車いす生活や少し介護が必要になったときに、ヘルパーさんに断られそうなほど設備が不十分です。この冬は湯沸かし器がこわれて、台所は温水がでませんでした。凍るような冷たい水で、ゴム手袋で食器をあらっていたんです。
そういうのを自慢げに話すのですが、そんな状態では誰かにヘルプに入ってもらえないですし、私自身も一緒に生活することができません。
家屋倒壊の危険
かなり古い木造ですので、2階の重みで1階のリビングの天井がさがってきています。
壁にもひびが入っている箇所があり、数年前の暴風の時も屋根が一部こわれました。
父は何でもできる器用な人なので、今まで家のメンテナンスは全部してくれていて、屋根もスイスイと器用に修理してくれていました。でも、今は屋根にあがるのは怖くてやめてほしい。それにいずれ私が管理することになったら、もうお手上げです。
十分に私たち家族をはぐくんでくれた大切なおうち。でもそろそろリニューアルさせてほしい。
安全のためにも建て替えが必要です。
物がおおすぎる
冒頭にも書いたように、物が多すぎます。
次の投稿でお話しますが、私は叔母のもの屋敷を処分した経験がありますが、それはそれは大変でした。
もし、今の状態で両親が施設に入ることになったら、私はひとりであの家を片付けなくてはいけません。その頃には私は更年期真っ只中で不調だろうし、ゴミ出しルールももっと厳しくなっているでしょう。大きなものは動かせないし、スプレー缶や缶詰など中身を空にしてから捨てるものって、本当にすごい労力がかかるんです。多分、あれだけの量の一件やをひとりで片づけたら、私はまちがいなくうつになると思います。
介護をしながら片づける自信がありません。
それにおんぼろ木造を賃貸に出せるわけもなく、更地にして二束三文で売ることしかできません。
でも、建て替えができていれば、物は少なくなり、いざというときは賃貸収入を得ることができます。貸したり売ったりができる。もしくは私も一緒に住んで介護ができる。
私は整理整頓されたスッキリした場所で生活し、仕事しているので、実家のようなゴミ屋敷ではまともな仕事はできません。もうイライラして体調も悪くなります。
自分と両親が折り合いをつけて出来るだけ快適に長く共存するためにも、実家の建て替えは必要という結論はもう長年かわりません。
この思いを両親にはハッキリと伝え続けましたが、なかなか行動してくれませんでした。
行動のきっかけになったのは、5年ほど前、叔母が倒れて施設に入れる際、彼女のゴミ屋敷を皆で片づけたことです。この経験でいかに大変な作業なのかを父母は頭で理解しはじめました。
つづく
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